そろそろ何かを表現して行きたいと願う今日この頃

ああああああああああああああああ

はあ〜この頃世界は変わり過ぎだ。

アメリカ大統領選挙の結果だけでも驚きなのにイギリスのEU離脱なんかもその一端だ。まさかトランプが勝つなんて思わなんだ。

 

 振り返ってみて自分はどうなのだろうと見てみるといろんな意味でも変わってねえなというのが印象だな〜 何処かダメ人間です

 自分を振り返る

 どう考えてもいい年齢なってしまった。周りはうまくいっている人は大勢いるし、子供もいる人もいる。残念ながら別れてしまった人も多いのも事実であるが、俺から見れば羨ましい限り。だが俺は何も持ってない。他人が見て、誇れるものは何もないし、特段、素晴らしいと思えるような体験もしてねえ。

 

 こういう時に思いつくことは簡単だ。自死だ。多分、どんな良い人生送っているように見える人だって一度は考えることだと思う。楽になりたいと。しかし、それでも生き続けなければなれない。死ぬつもりは毛頭ない。自死はルールの逸脱であり、なんの解決にもならんことを知っている。例えるなら、チェスやっときながらチェス盤をひっくり返すようなものだとフランクルは夜と霧で言っている。

 

 それでも我が人生を誇らしいと自分では思っている。他人がどう思おうが。全て自分で選択し、自らの意思で決定したことだ。だから、他者を恨んだり、境遇を妬んだりすることは全くない。全部自分で選んだことであるから、責任を全て負う覚悟はできている。どんなみすぼらしい状況に陥ってもそう思える。それが自分自身を自由である証明であるから。

 

ある出来事

変わってねえなと思ったが、高校の時、ある出来事によって、俺は衝撃的に変わったことがあった。それ以前以後では自分の認識は全く変わってしまったと思える。それ以来、自分は自分のことが恐ろしい人だと。己の不完全性を恥じるようになり、人間の資質の欠いた存在のように思えるようになったのだ。学習能力は決して高くはないが、人物としては善良であると思い込んでいたのだ。しかし、この出来事から自分自身を恥じ、疎ましい存在だと思ってしまった。今になって思えばその瞬間に私は、初めて私は目醒めたのだと。

 それ以来、自分勝手な善良さから脱却するために読書を始めたのを記憶している。活字なんて大嫌いだったのにもかかわらず。書物の中に脱却と何かの真理を求め続けたのはこのころからなのである。まあ、両方見つからなかったのだが。

 

 読書をするのが全く苦痛にならなくなった今、唯一の趣味として俺の中に残ったことをあの出来事に対して今では感謝している。

 

 そんで、ところかわって、インターネットの時代となってからの表現する人の多さに圧倒されるようになった。一部の人の特権であった表現するという行為が際限なく広がっていく様を見ていく内に自分もいつかわって気分になってくる。なかなか始まらないその気分。それがようやくやって来た。なんでだろ、わからん。

 今後

 きっと、月間PV1万どころか生涯PV1万行かないかもしれない。それでも、今まで学んだこと、読書によって得た知識をなんらかしらの方法で表現したいという意欲が出て来た。雑記でも書評でも構わない。何かを他人に伝えたいんだ。共感されなくても全然構わない。ただちょっと他者に触れられたらそれでいい。

  この感覚を大切にしていこう。